アングル6:憧れタイプのケーススタディ(1)

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黒田恵子さんは小さな頃から日本舞踊を習い、将来は舞台に立つことを夢見て育ちました。

宝塚音楽学校をめざして声楽も学び、15歳になった頃、高倍率の入学試験に挑戦し、見事合格。

華のヅカガールヘの道を踏み出したのです。

彼女は17歳で琴吹流最年少の師範となるほどの日舞の実力をつけていましたが、洋舞の経験は、あまりあるほうではありませんでした。

しかし音楽学校に入り学ぶうちに、身体で表現する日舞の経験が生かされて、洋舞もどんどんマスターしていきました。こうして彼女は二年間の音楽学校生活で、歌や演技、踊りを含めた総合的な舞台人としての実力を身につけ、宝塚「雪組」の一員として舞台に立つようになりました。

彼女はヅカガールとしては、身長が低いほうでしたから、役柄としては少年役が多かったそうです。日舞の男舞いを得意としていましたから、男役が好きでした。しかし一年たった頃、壁を感じて考え込むようになりました。

将来のことを考えると、身長の高い男役に光が当たりがちな宝塚の中で活動していくよりも、外でより幅広く自分を活かす道があるように思い始めたのです。ちょうどその頃、足に故障が起こり、自由に踊ることが難しくなったのです。

そんな時、宝塚出身の歌手が成功する例があったため、ヅカガールヘの各プロダクションからのスカウトが盛んになり、彼女に音楽関係の仕事をしないかという誘いがかかりました。彼女はいろいろ考えた末、宝塚を退団しプロダクションと仕事を始めましたが、話がコロコロと変わり振り回されるばかりでした。

そこで原点に戻り、一からシャンソンのレッスンを受けて、一年後にやっと、ヴォーカルグループの一員として活動を始めたのです。

(続く)