Oct 06, 2009

会員制リゾートでの宿泊

この前の会社が契約している長野タデ科にある会員制リゾートに宿泊してきました。 1部屋当たりの料金設定になっている施設のための部屋の容量は5人だが、人数が多ければ多いほど安くなるシステムで、コストパフォーマンスも良かったです。そして、やはり安心できるものが残っているお客さんが会社の看板を背負っている人たちなので、、狂気の人々や迷惑メールの危険性が少ないことだった。会員制リゾートのメリットは、"費用と安心"と思っています。小さい子供を抱いて、家族の旅行にはもってこいだと思いました。
海外旅行保険は旅行旅行する場合は、強制的に入るものなので必要ないと考えて入るのは仕方がないと思っていた。ところが、友人がハワイ旅行中に盲腸になって病院にかかるようになり、高額の医療費がかかったが、海外旅行保険に入っていたおかげで、誇示することなく終わった。それが何かわからないので、必ず入るようしている。
 NHK系列で「みんなの体操」という5分くらいの番組があるのですが、この番組を見るたびに「日本はホントに見かけが揃っていることが好きな国だなー」と思います。出てくるアシスタントの女性が、ウエアはもちろん、背格好から髪型、化粧法まで酷似していて、誰が誰だか分からないくらい似ているからです。

 同じ番組を欧米で作るなら、「差別じゃないか?」と言われないよう、できるだけ「見かけの多様性」を確保しようとするでしょう。

 けれど日本では反対です。「とりあえず見かけを揃えよう」という気持ちが強いです。以前、「留学生が肌の色順に並ばされた」という話を書いたことがあるのですが、これも差別意識というより「色が揃っていた方がきれいじゃん」程度の考えだったのではないか、と思います。「見かけが揃っていること」に美意識を感じる文化があるのかもしれないとさえ思います。

 外国でスーパーマーケットに行くと、野菜売り場でも果物売り場でも「いろんな大きさの野菜や果物があるなあ」と驚きます。日本のスーパーでは野菜も果物もあまりにきれいに見かけが揃っているため、不揃いな野菜を見慣れていないからです。

 さらにイチゴやさくらんぼのパックになると、日本ではすべての粒が同じ方向を向いて並んでいます。「高級品とは揃っているもの」という感覚があるのか、山形のさくらんぼは揃えて売られているのに、アメリカンチェリーはぐちゃぐちゃで売られているのが面白いです。

 小学校や中学校で制服を着せるのも同じかもしれません。「揃っているものは質が良い」という価値観があると思います(完全に誤解だと思いますが)。

 だから日本は、同じモノを大量に作るベルトコンベア組立型の産業はすごく強いです。テレビとかデジカメとかネジとか、設計通りに寸分違わぬ“まったく同じモノ”がどんどんできてきます。

 手先が器用とか細かいオペレーションが得意という理由もあるでしょうが、根底には「揃ってないと美しくない」という「美的感覚」もありそうです。「揃っていること」へのこだわりが強いから、ああいう工場の生産性が高いのでしょう。

●画一性のデメリット

 ただ、この「揃っているものがいい」という感覚は工業製品を作る際には役立つのですが、こと生物的なものに適用されるとややこしいです。「生き物にも“揃う”ことを要求する」デメリットをまとめると……。

(1)他者と同じでない人を抑圧したり排除してしまう。

 本来、人間は多様なものです。同じ民族でも誰一人として同じではありません。なのに強く画一性を求められると、「個性の抑制」が必要になります。そしてそれができない人を「集団から排除する」動きも出てきます。

 人間はモノじゃないし、生物は機械じゃありません。なのに「見かけ上の言動が揃っていること」を要求するから、身体的な特徴でいじめたり、障害のある人を別の場所に隔離しようとする。「同じように行動し、感じ、発言しない人」を集団が排除して追い詰めてしまいます。

 キャリアパスも同じです。高校に行って大学に行って働いて、途中で自己研鑽のためにちょこっと留学して、結婚して子ども産んで、みたいな“標準的な生き方”に沿っている人を“まともな人”と呼びます。多様な生き方を認めないのも“揃っている”ことの偏重でしょう。

 「周りと同じでなければならない」という呪縛をかけられるのは、個性的な人にとっては生きづらい環境であり、そのせいで病気になったり日本を出てしまう人も多いんじゃないかと思います(他国で楽しいならそれはそれでいいと思いますが)。

(2)付加価値の高い独自性のあるものが出てこない。

 日本が未来永劫「同じモノを大量に、同じクオリティで作って輸出する」という産業でやっていくというならいいのですが、それってもう無理ですよね。そういうのはより人件費の安い国でできるんです。

 付加価値の高い仕事は「ユニークさ」、すなわち「ほかの人が発想しないことを考え付く」ということにその源泉があるのです。それなのに「出る杭は打たれる」などということわざが支配する世界で人材を育てていては勝ち目がありません。

 特に世界で競争している企業は、このことをもっと真剣に考えた方がいいと思います。企業はどこも「ユニークで斬新な商品や事業を開発したい」と思っているはずです。だったら新卒一律採用なんて即刻辞めるべきです。「ほかの会社にはない、独自の視点で何かを開発したい!」と思うなら、いろんな業界でいろんな経験をしてきた人を雇うべきだと思いませんか?

 毎年似たような大学から一斉に人を雇って、何十年も外の経験をさせずに、ずっと同じ会社、同じ環境の中で育てておいて、「ほかと違う発想をしてほしい。既成概念にとらわれない発想で開発してほしい」なんて言うのは、完全に矛盾しています。

 学校の制服も同じです。18歳まで制服なんて着せていたら、ファッションセンスも個性も殺されてしまいます。そういう分野に才能のある子どもの可能性を奪っているとも言えるでしょう。

(3)「揃える」ための無駄なコストが生じている。

 不揃いの野菜は加工用に安値でしか売れなかったり、時には廃棄されることもあります。また、さくらんぼやイチゴを同じ方向に並べて詰める手間は価格に含まれていますから、その分高くなっています。

 多くの有能なビジネスパーソンの仕事時間が、「資料の体裁をきれいに揃える」という(とても付加価値の低い仕事)に使われてもいるのも無駄です。

 ちきりんの記憶では、昔は日本のATMでお札を引き出すとお札の向きが揃って出てきていました。最近はどこでも、上下、裏表がバラバラに出てきます。あれも昔は、お札の向きを揃えるために無駄な工程が(もちろんコストも)かかっていたはずです。

 さすがに銀行も最近はそんなアホみたいなところにコストを掛けられなくなったのだと思いますが、今でもIT開発費の何割かは「実質的な意味はないけど、きれいに揃えて見せる」ことに使われてるのではないでしょうか?

●画一性の信仰を捨てるべき

 そろそろ日本も「見かけが揃っていることは、質が高いということだ」という意味不明な信仰を捨てた方がいいように思えます。

 NHKの体操番組は、若いお姉さんのほかに、おばさんやおじさん、高齢者も出せばいいのです。髪の毛の色や顔つきもいろんな人を呼んでくればいいし、スポーツウエアも各自が好きなものを着た方が素敵です。そういう発想は、日本が世界に誇る“超画一的な組織”であるNHKからはなかなか出てこないかもしれませんが……。

 この番組、増え続ける高齢者の健康増進のためにすごく意義のある番組です。ジムに行くお金や機会のない人もいるし、1日ずうっと家にいて同じ姿勢でテレビを見ているような生活の人にとって、とても役に立つ番組です。

 けれど、ちきりんはこの番組を見るたびに、「これって北朝鮮の番組?」と思います。「画一的であること」は、「抑圧された」イメージにつながるのです。反対に「豊かである」とは「多様であること」なんだということを再認識させてくれる番組でもあります。

 そんじゃーね。

(ちきりん)

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